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モンゴル
モリンホールについてインタビュー
- バトオチルさんはいつ、どうやってモリンホール(馬頭琴[ばとうきん])をひきはじめましたか?
小[ちい]さいころから、おとうさんのまねをしてひきはじめました。プロの演奏家[えんそうか]になろうと専門[せんもん]の学校[がっこう]に入[はい]ったのは12才[さい]のときです。
詳[くわ]しいインタビューはこちら。
モンゴルでは、むかしから自分[じぶん]の家[いえ]の馬頭琴[ばとうきん](モリンホールのこと)を自分[じぶん]でつくり、お客[きゃく]が来[き]たらそれを弾[ひ]いて聞[き]かせてあげる習慣[しゅうかん]があります。
父[ちち]も、私[わたし]が6歳[さい]のとき家[いえ]のモリンホールをつくりました。
父[ちち]はオルティン・ドーという民謡[みんよう]をよく知[し]っていて、そのメロディーをモリンホールでひくのを、私[わたし]もまねするうちに、いくつか曲[きょく]がひけるようになりました。それで音楽舞踊学校[おんがくぶようがっこう]に12歳[さい]で入学[にゅうがく]し、プロの奏者[そうしゃ]になったのです。
父[ちち]がモリンホールをつくるところを、親戚[しんせき]のバトエルデネ兄[にい]さんが見[み]て、木工[もっこう]に興味[きょうみ]をもち、美術工芸学校[びじゅつこうげいがっこう]にはいってプロの工芸家[こうげいか]となりました。兄[にい]さんは、私[わたし]の卒業祝[そつぎょういわ]いに、このモリンホールを作[つく]ってプレゼントしてくれたのです。彼[かれ]も優[すぐ]れたモリンホールの作[つく]り手[て]になりました。